離婚という選択のハードルの高さ
前回の記事で、義実家との生活のベースがあまりにも違い、最後まで馴染めなかった、と書いた。
義実家だけでなく、元夫との関係も、私は最後までうまく築くことができなかった。最初からそれに気づいていたわけではない。うまくやっていると思っていた時期もあった。
それが少しずつ、思うようにいっていないと感じるようになっていった。それでも、そう感じ始めた頃も、すぐに離婚を考えていたわけではなかった。
この関係は、いずれ破綻するかもしれない。いつか離婚するかもしれない。そんなことは、当時からどこかで感じていた。そうはいっても、離婚という選択は、当時の私にとっては、とてもハードルが高かった。
一番大きかったのは、やはりお金と子どものことだった。
それに加えて、頭のどこかで「離婚はマイナスなこと」という漠然とした思い込みがあった。誰かにはっきりそう教えられたというより、育つ中でなんとなく染み付いていた感覚だったと思う。
子どものことで言えば、離婚すれば、どちらかが子どもを引き取ることになる。実際に片親になるわけではなくても、子どもが今のように両方の親と一緒に暮らせなくなるかもしれない。そのことも、心のどこかで気にしていた。
だから、子どもが独立してからの方がいいのではないか。なんとなく、そんなふうにも思っていた。
自分の考え方を変えれば、なんとかなるかもしれない

せっかく縁があった人なのだから、なんとか続ける方法があるかもしれないとも思っていた。
離婚に向かっていたというより、どうすればこの婚姻生活を続けていけるのかを考えていたのだと思う。恐らく、その時点では、元夫が変わることは、もうあまり期待していなかった。
それなら、自分の接し方や考え方が変わればどうだろう。元夫に対する自分の捉え方が変われば、同じ状況でも、もう少し違う気持ちで過ごせるかもしれない。そんな淡い期待を持っていた。
元夫に変わってもらうことを期待するのではなく、自分の考え方を変える。期待するものを変える。自分の中で折り合いをつける。そうすれば、なんとかやっていけるかもしれない。
ただ、正直に言うと、私の中には、元夫に歩み寄らなければという気持ちと、歩み寄りたくないという気持ちが、いつも混在していた。そして、歩み寄りたくない気持ちの方が、いつも少し勝っていた。
元夫がどう思っていたのかは分からないが、私は自分がすでに我慢していると思っていた。だから、これ以上に我慢するのは、なんとなく不公平ではないかと感じていた。
これ以上、自分の気持ちを押し殺してまで歩み寄る必要があるのか、正直分からなかった。そんな善人のようなことが、自分にできるのかも分からなかった。
夫婦なのに、夫婦の問題を1人で抱えていた
そもそも元夫とは、話し合うということ自体が、あまりできていなかった。会話をしていても、こちらが伝えたいことと、元夫が受け取っていることが噛み合わないことが多かった。
私も、元夫に相談しようとは思わなかった。義実家に相談しなかったのと同じように、元夫に話したところで、一緒に考えてもらえるという感覚がなかったのだと思う。
それに加えて、私自身、仕事を続けていることへの後ろめたさのようなものもあったと思う。
当時は、出産したら家庭に入るか、パートという働き方に切り替えるのが主流だったように思う。私は、その主流に乗っていなかった。どこかでそのことに後ろめたさを感じていて、元夫に協力してほしいということを、しっかり伝えられていなかったのではないかと思う。
今になって考えると、夫婦なのに、夫婦の問題を1人で抱えていた。婚姻生活を続けるために、自分の考え方を変えようとしたり、自分の気持ちを調整しようとしたりしていた。
それでも、そこに「二人でどうしていくか」という視点が、ほとんどなかった。
そんな小さな可能性を一つずつ残しながら、私は婚姻生活を続ける方法を探していた。
それでも、まだ「終わらせる」というところまでは気持ちが進んでいなかった。
一人相撲だったのかもしれない

こうして書きながら、今気づいたことがある。この話には、元夫が一度も登場していない。
歩み寄ろうとしたのも、考え方を変えようとしたのも、期待するものを変えようとしたのも、全部私一人だった。
婚姻生活を続けるための努力は、最初から一人相撲だったのかもしれない。
そして、その先にあったのが、家を買うという話だった。



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