雪の日の資源ゴミ
月に一度の資源ゴミの日。当時は、一カ月分の新聞やペットボトル、缶やビン類、ダンボールなどをまとめて出す日が決まっていた。四人家族の一カ月分ともなると、かなりの量になる。
毎回、台車にゴミをてんこ盛りに積んで集積所まで運び、その場で分別して出していた。エレベーターで何度も往復し、分別まで終えると、それだけで二十分ほどかかっていたと思う。
その日は、いつも以上に早起きしなければならない。前日の夜のうちに台車へゴミを積み、朝はすぐに出せる状態まで準備しておく。
夜に出しに行く方法もあった。ただ、夜にはもうそんな体力は残っていない。子どもたちを寝かしつけた後、少しでも早く寝て睡眠時間を確保したかった。お風呂に入った後に外へ出るのも嫌だった。
だから、慌ただしくても朝に出しに行くのがいつものルーティンだった。
子どもがまだ小さかった雪の朝。私は下の子をおんぶし、上の子を少しだけ留守番させてゴミを出しに行った。
その姿を見ても、元夫は私が一人で大変そうにしていることには全く気づかなかった。子どもをおんぶして台車を引いている私の横を、そのまま何事もないように通り過ぎ、出勤していった。
その日、私はあえて何も言わなかった。
晴れた日も雨の日も、何も言わずに全部一人でやるのが私の仕事だった。だから、いつもと同じように何も言わなかった。
ただ、その日はいつも以上にメンタルがこたえていたんだと思う。
ゴミ出しのための早起きと、天気が悪いからいつも以上に早く家を出ないといけない。そして元夫は知らんふり、色々思うと、気分はどんどん沈んでいった。
私は気づいてほしかった
それまで何度も訴えても伝わらなかった。それでも、目の前のこの光景を見れば、さすがに気づいてくれるかもしれない。そんな思いが、どこかに残っていた。
その思いは見事に裏切られた。
雪の降る中、傘を差し、子どもをおんぶして、泣きながらゴミを出しに行った。台車を引きながら、頬に伝う涙の冷たさは、四半世紀以上経った今でもはっきりと憶えている。一瞬で氷のように涙が冷えた。
前日の夜には、台車にゴミを積んで準備してある。何も言わずに捨てに行ってくれればいいのに。朝、少しだけ早起きして出してくれればいいのに。
そんなことばかり考えていた。
気にかけてくれたのは、家族ではなかった
資源ゴミの日は、月に一度必ずやってくる。
毎月、いつものように台車にゴミを積み、下の子をおんぶして集積所へ運んでいた。毎月、この日が来るのが億劫だった。それでも、当然のように一人でこなしていた。
上の子は、二十分ほどなら言い聞かせれば待っていられた。マンションの同じ敷地内にいるのだから大丈夫だと思っていた。
家には元夫がいる。元夫が家にいる間に子守をお願いすればいいだけの話。それなのに、そんな発想すら思い浮かばなかった。自分一人でなんとかする。それがいつもの流れだった。
元夫は出勤の三十分前に起きて、自分の身支度だけを済ませて出勤する人だった。私や子どもたちのことは関係ない人。自分のルーティンを崩さない人だから、頼んだところで何も変わらない。頼むべき人ではない。そう思っていた。
その頃は、自転車で子どもたちを保育園まで送っていた。雨の日は、二人にカッパを着せ、私は傘をさし、両手に大荷物を抱えて自転車を漕いでいた。お昼寝布団が二人分。当時の保育園は布おむつを使っていたので、荷物はどう頑張っても減らない。
見知らぬ人から声をかけられることも、幾度となくあった。
「サーカスみたいだね」「よくその格好で自転車に乗れるね。すごいね」
そうだと思う。よくあんな格好で自転車にもれたものだと思う。若くて体力があって体幹もあったからだと思う。今は絶対無理だろう。
そんな姿を見た、車通勤のママ友から朝に連絡が入ることもあった。
「雨が降っているから、保育園まで一緒に乗って行きなよ」
しばらくすると、「駅の近くに駐車場が空いているから、無料で使っていいよ」と声をかけてくださる方まで現れた。同じマンションに住む年配の女性だった。
私はその言葉に甘え、駐車場をお借りすることにした。子どもたちを自転車に乗せた、サーカスのような出勤をしなくてよくなった。通勤は本当に楽になった。
あの方は今も元気でいらっしゃるのだろうか。私の母より少し年上だったと思う。
気にかけてくれたのは、通りすがりの人や友人、ご近所さんだった。その子たちの父親である元夫ではなかった。
私はなんなんだろう
私だって、この後仕事に行かなければならない。
今の時代なら、「休めばいい」という発想もできるかもしれない。危険を冒してまで出勤するものではないと、今の私は思っている。ただ、当時はそんなことで仕事を休むという発想もなかったし、実際にそんなことで休む人もほとんどいなかったと思う。そんな時代だった。
それなのに元夫は、父親としての役割も、一家の主としての役割も果たさず、独身の一人暮らしと同じような生活を送っていた。誰かのことを気にかけることもなく、自分のいつも通りの生活だけを守っていた。
色々な思いが込み上げ、涙が止まらなかった。こんなに寒い朝、小さな子どもをおんぶして、傘を差し、泣きながらゴミを捨てに行く私の存在は何なんだろう。
私は家政婦以下。人間としての感情にも気づいてもらえない。寒さも暑さも感じる一人の人間だということすら、分かってもらえない。
私は、人として扱われていない。
ただただ、そう思うだけだった。



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