私は厳しすぎたのだろうか
元夫が少しだけ家事に参加したとき、私は容赦なくダメ出しをした。
洗濯物を干したときのことだった。
シワの伸ばし方が雑だから、そのまま干すと乾いた後、しわしわになる。私だって完璧にやっているわけではない。どちらかというと雑。それでも、もう少しなんとかしてほしい、というレベルだった。
「そのまま干したらシワになるよ」と言うと、元夫は「そんな細かいことぐちぐちうるさい」と、明らかに不機嫌になった。
シワだらけの服なんて着たくないし、子どもたちにも着せたくない。それに、たまに家事に参加しただけで、不機嫌になられると、これ以上何も言えなくなる。
元夫は、たった一度だけ干して「やってやった」という顔をする。私は毎日毎日、体調が悪くて疲れ切っていても、時間がなさすぎて慌てていてもやっている。
だから私は指摘した。厳しかったかもしれない。でも、何も言わずに済ませることはできなかった。
「お前がごちゃごちゃうるさいからやらんのだ」
そう言われたことがある。確かにね。多分容赦なく指摘していたから、私の言い方はきつかったと思う。
私の言い方が問題だったのか?

「もっと優しく言えばよかったのでは?」
と、一般的に言われるかもしれないが、私はそう思わない。
元夫は、「家事育児は母親の仕事」と言い切り、同じようにフルタイムで働く私に全て押し付け、家事育児を軽んじている人だった。
軽んじているなら、きちんとやれて当然だと思っていた。それだけ偉そうに言うのであれば、完璧にやれて当然。だから私は容赦なく指摘する。
それに中途半端なまま家事育児に参加して、「俺は手伝ってやっている」と、大きな顔をされたくない。そもそも手伝うという認識がおかしいのだが。
それなのに、「お前がごちゃごちゃうるさいからやらんのだ」と言われれば、私の言い方が厳しいことを理由に、家事をやることから逃げることができる。私の言い方を言い訳にして、堂々と全部私に丸投げできる。
一度その理由ができると、「どうせ文句を言われるからやらない」と言えば済んでしまう。
結局、家事は全部私がやる。
私は仕事も家事も育児も抱えたまま、元夫は何もしない。そんな当たり前の状態が変わることはなかった。
私の一日と元夫の一日

あるとき、私は自分が一日に何をやっているのかを書き出し、元夫に見せたことがある。
私の一日
起床、朝食準備、夕食の下ごしらえ、洗濯、細々とした家事、身支度、子どもたちを起こして身支度、朝食を食べさせる、保育園の準備を確認して送る、出勤、仕事、保育園にお迎え、(たまに買い物)、帰宅、保育園からの荷物の片付け、洗濯物の取り込みと畳む、夕食準備、夕食を食べさせる、後片付け、子どもたちをお風呂に入れる、寝かしつけ、翌日の保育園の準備、就寝。
ここに、子どもの通院や自分の通院が入ることもある。毎日が目まぐるしいスピードで過ぎていった。
元夫の一日
起床、身支度、出勤、帰宅、夕食、自分が食べた食器の片付け、入浴、就寝。
ざっと並べただけでも、これだけ違う。どうしても不公平に思えてならなかった。そして何より悔しかったのは、この違いが最後まで元夫には伝わらなかったことだった。
元夫は、いつも私のことを下に見ている人だった。
「私の仕事は大したことがない」「家事も育児も母親の仕事」「自分は手伝ってやっている側」そんな考え方の人だった。
だから私は、「それだけ偉そうに言うのなら、私が毎日やっている家事ぐらい完璧にできて当たり前だろ」と思っていた。
もし元夫が、「慣れていないから、うまくできなくてごめん」
そんな気持ちで家事に向き合っていたら、私はもっと違う接し方をしていたと思う。あえて指摘しなかったし、気長に待っただろうし、一緒にやればいいとも思えた。
何もしないのに、自分の方が上だという態度だった。
家事育児をやらない代わりに、家庭の共同運営者として他のことでカバーできるなら、私は大いに納得できる。
私が本当に求めていたもの
家事なんて、私の方が得意だし早い。私が一人でやった方がよっぽど早い。得意な方が得意なことをやればいい。時間のある方がやればいい。
その時々で足りないところを補い合えば、それで十分だと思っていた。
「ありがとう」「助かったよ」「今日は疲れているみたいだから俺がやるよ」
そんな一言があるだけで、私はもっと頑張れたと思う。
私が求めていたのは、家事をどう負担するかではなく、夫婦として、相手をどう見ているのか。
私が本当に求めていたのは、その部分だった。
今でも、「お前がごちゃごちゃうるさいからやらんのだ」という言葉を思い出すことがある。
本当に私のせいだったのだろうか。私が気持ちを大らかにして接するべきだったのだろうか。
違う。
ある一定期間、我慢すればできるかもしれない。ただ、そんな関係は長く続かない。自分を押し殺して相手に合わせ続けることは、自分で自分を少しずつ削っていくことだから。
私が求めていたのは、私だけが我慢する夫婦ではなかった。お互いが相手を思いやり、歩み寄ることが当たり前の夫婦だった。



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