4歳の娘が父親ではなく祖母を頼った理由|モラハラに気づくまで Vol.15

モラハラ

私の不注意によって起きたこと

突然、息子の泣き叫ぶ声がした。

何事かと視線を向けると、1歳半を過ぎた頃の息子がキッチンの床に、泣き叫びながら転がっていた。

私が目を離した隙にキッチンへ入り込み、魚焼きグリルのガラス窓を一瞬触ってしまったらしい。

赤く光るガラス窓に好奇心を持って触ってしまったようだが、私は料理に集中していて息子の様子には全く気づいていなかった。小さな子どもがそんなことをするなんて考えが及びもしなかった。

私の不注意による事故だった。

記憶が曖昧なのだが、4歳だった娘が「弟君が、ここを触った」と説明していたように思う。

息子が触りそうになったのを、娘が咄嗟に止めに入った、そんな話をしていた気もする。

血の気の引く思いで息子を抱き抱え、流水で冷やし続けた。さらに氷だったか保冷剤をあてがうと、冷たさのためか、さらに激しく泣き続けた。

手のひらの様子を見て、「救急車を呼ぶほどではない。念のため病院に行ったほうがいいな」そんなことを考えていたと思う。

その日も私は仕事を終え、子どもたちを保育園へ迎えに行き、帰宅するとすぐ夕食の支度を始めた。

子どもたちの様子を見ながら夕食を作るのが毎日のルーティンだった。普段はキッチンの入り口に柵を付けていたが、慌ただしさの中でついつい開けっぱなしになっていた。

そんな時の突然の出来事だった。

いつの間にキッチンへ入ってきたのか、全く気がついていなかった。

長袖にオーバーオールで床に転がって泣き叫ぶ息子。その日の服装だけははっきり覚えている。多分、寒い時期だったのだと思う。

4歳の娘が助けを呼んだ

ひとり慌てふためく私の気づかないうちに、娘が私の所へ寄って来て、「おばあちゃんに電話したら、今から来るって言ってる」と。

自宅の固定電話からかけたようだった。短縮ダイヤルでかけたのか、どうやってかけたのかは定かではない。4歳だった娘なりに、誰か大人に言わないといけないと思ったのだろう。

たかだか4歳の子どもが、大人に連絡しなくてはと判断した。親の私が言うのも何だけど、本当に4歳?と思うほど、いつも年齢のかなり先を行く行動や判断のできる子どもだった。

この娘には、この時だけでなく本当に色々助けられたと思う。頼りになる子どもだった。

その娘が義母になんて話をしたのかは分からない。それから30分ほどして、慌てた様子で元夫の姉である義姉の運転で我が家にやってきた。

「娘ちゃんから電話で、弟君が魚焼くところに手をついて、ずっと泣いてるって言われて、飛んできた」と。

そのまま近所の救急外来へ向かったと思う。どうやって病院へ行ったのかは、実はよく覚えていない。

多分、義姉の車だったのではないかと思う。私は泣き続ける息子を抱きかかえていたので、自分で車を運転した記憶はない。

病院では、「本当に一瞬だったと思うから、この程度で済んで良かったね」と言われた。

「深度2」という説明だった記憶がある。手のひらには水ぶくれができ、しばらく包帯を巻いて生活していた。

どんな処置を受けたのか、処置室でのことは全く覚えていない。娘がすぐに気がついてくれたから、大事には至らず、火傷跡も残らなさそうとのことで一安心だった。

病院から帰宅した頃には、21時近くを回っていたと思う。

魚焼きグリルに放置された魚。パリパリに乾いた春巻きの皮。包みかけの具。春巻きの皮に具を入れて包んでいる途中の出来事だったので、包み途中のまま放置され、パリパリに乾いている。

その光景を見た瞬間、張りつめていた気持ちが切れたように、どっと疲れが押し寄せてきた。

まだ食事の準備も終わってない。ご飯も食べさせていない。お風呂も入れられていない。保育園の明日の準備も終わっていない。

それなのに、明日の朝は、いつものようにやってくる。

多分、夜泣きするだろうな。痛いよね。そんなことを考えていた。

とにかく散らかったキッチンを片付けながら、食事の準備を終えるまで、義母と義姉に子守りをお願いしたことだけは覚えている。

そのあと、お風呂に入れるのを手伝ってもらったのか、いつまでいてもらったのかは全く記憶にない。

あの日は、とにかく息子が大事に至らなかったこと、義母と義姉が駆けつけてくれたこと、そのことしか考えていなかった。

四半世紀以上あとになって気づいたこと

あの日のことを思い返していた時、ふと気づいたことがある。あの時、長女はなぜ父親ではなく義母に電話をしたのだろう。

私は、なぜそれを不思議だと思わなかったのだろう。当時の私は、そんな疑問すら抱かなかった。

なぜ長女は、おばあちゃんを頼ったのか。

こうして子育て中の出来事を思い返してみると、元夫はほとんど登場しない。元夫は、私にとって困った時に頼る相手ではなかった。

夜間に子どもが急病になった時も、子どもを抱えてタクシーで病院へ向かったことがある。

火傷の時は義母と義姉だった。元夫は、いつもそこにいなかった。だから、元夫を頼るという発想自体が、私の中になかった。

緊急事態でも元夫が登場しないことに違和感を覚えなかった。それが、当時の我が家の日常だった。

4歳の娘が見ていた日常

4歳だった娘が、何を思って義母へ電話をしたのかは分からない。困った時に助けを求める相手として、おばあちゃんが思い浮かんだと思う。

自分たちの世話をしてくれるのは、父親ではなく、おばあちゃんだった。

それが、あの頃の我が家の日常だった。四半世紀以上経った今になって思う。

あの日の長女の行動には、当時の我が家の日常が、そのまま表れていたのではないかと。

父親ではなく、おばあちゃんに電話をかけた。

それは4歳の子どもなりに、「困った時は誰が助けてくれるのか」を、日々の生活の中で感じ取っていたからなのかもしれない。

私は当時、そのことに何の違和感も抱いていなかった。四半世紀以上経った今になって、ようやくあの日の意味に気づいた。

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