いつもと違う紙が差し込まれた
家庭内別居の元夫は私に言いたいことがあると、私の部屋のドアの隙間に紙を差し込んできていた。その内容は、文句や戒めばかりが書かれており、数日に一度のペースだった。私は何を書かれていても一切反応しない。
ある時、いつもとは様子の違う紙が差し込まれた。
「父が腸閉塞を患い、入退院を繰り返していて、認知症の症状も出てきている。もう90歳近くになり、先は長くない。市民病院に入院しているから、病院の玄関で待ち合わせをして一緒にお見舞いに行きたいので、都合のいい日を教えてください」
そう書かれていた。
「一緒に?」「お見舞い?」私はその内容を読んで、心臓がバクバクする。この人、正気なんだろうか。こんな関係性で、今更なにを言っているのだろうか。
その時だけの丁寧語

普段は、威嚇音を立てて帰宅し、戒めや文句ばかりを紙に書いてくる。それなのに、この時だけは、急にお願いする姿勢になっていた。
私は、元夫が帰宅する音を聞くだけで身構え、紙が差し込まれているのを見るだけでも緊張するような生活を送っていた。何年も会話をしていない相手を恐れ、家の中で息を潜めるように暮らしていた。
元夫は、私がそこまでの状態になっていることを知らなかったと思う。それでも、これだけ関係が壊れ、私からの反応も一切ない中で、自分の言動が私にどう影響しているのか、私が何を感じているのか、一度でも考えたことがあったのだろうか。そんな状態の私に、自分の父親のお見舞いに一緒に行ってほしいと思うこと自体、私にはどうしても理解できなかった。
病院の玄関で待ち合わせをして、元夫と一緒に病院へ行くことなど、想像を絶する。何年も会話をしていない、顔を合わせることすら避けている相手と待ち合わせをして、二人で病院の中へ入り、義父の前で何事もなかったかのように振る舞う。私には、そんなことができるとは思えなかった。
もしかしたら、向こうの家族から何か言われたのだろうか。「嫁という立場なのに、なぜお見舞いにも来ないのか」とでも言われたのだろうか。本当のところは分からない。元夫が自分の判断で書いたのか、家族から何か言われて書いたのか、それを私が知ることはなかった。
義父への申し訳なさと、元夫と一緒に行動することへの恐ろしさ。その二つの間で葛藤した。
その時点で、義父に7、8年ほど会っておらず、今更どんな顔をして会えばいいのかも分からなかった。もう90歳近くで先は長くないと書かれている。自分を押し殺してでも、人としてお見舞いに行くべきだろう。ここでお見舞いに行かなかったら、人でなしだと思った。
それでも、どう頑張っても、元夫と一緒に行動することはできなかった。
一人で病院へ行くことも考えた。ただ、一人で向こうの家族のところへ行くほどの勇気もなかった。
そう思いながらも、数年後には離婚すると決めていた。いずれ縁が切れる人。そう考えると、自分を押し殺してまで行く必要はない。そう決断した。
元夫からのその紙は、2ヶ月ほどの間に、10回以上差し込まれたと記憶している。行かないと決断するまでに、私自身、かなりの時間を要した。
紙が差し込まれるたびに、その内容を目にする。何度も同じ内容が繰り返されるたびに、心臓をグイッと鷲掴みにされるような感覚があった。一瞬、いろんな思考が停止する。全身で、その反応を受け止めているような感じだった。
それでも、「もう縁を切る人たちだから」と自分の中で割り切ってからは、紙が差し込まれても、さっさと捨てられるようになった。行かないと決めてからは、それ以上深く考えないようにしていた。
結局、私は行かなかった。それ以降も同じような内容の紙が次々と差し込まれたが、ひたすら無反応を決め込んだ。
思考回路の歪み

普段はあれだけ威嚇音を立て、文句や戒めしか言ってこない。それなのに、今回のように頼みたいことがある時だけ、急に低姿勢になる。この思考回路が、どうしても理解できなかった。
生活の中では対等さも思いやりも一切見せないのに、元夫が頼みたいことがある時だけ、丁寧な言葉を使って「お願いする側」の体裁を取る。
モラハラでは、普段は相手を威圧したり、相手の気持ちを無視したりしているのに、自分の目的を達成したい時だけ、急に丁寧な言葉を使うことがある。相手を尊重しているから丁寧になるのではなく、「お願いを聞いてもらう」という目的のために、その時だけ態度を変える。あの時の元夫の丁寧語も、私にはそんなふうに見えた。普段からある態度ではなく、目的を達成するために必要な時だけ変わる態度に、違和感しかない。
結局、義父はそれから半年ほどして亡くなったらしい。亡くなったことと、通夜、葬儀の日時と場所が書かれた紙も差し込まれたが、それにも反応せず、私はいつも通り過ごした。
せっかく縁があって婚姻関係を結んだ家族だったのに、最後にはこんなにも不義理なことをしているな、と思う自分もいた。それでも、私はどうすることもできなかった。何年も顔を見せなかった私を、向こうの家族がどう思っているかも分からない。そんな状態で、その場に行くことなどできなかった。
義父には申し訳ないと思っていた。お見舞いにも、お葬式にも行かなかったことに、罪悪感は残った。それでも、あの頃の私には、元夫と一緒にその場へ行くという選択肢はなかった。



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