「家でずっと動いてる」
元夫が友人に、私のことをそう話していた。下の子が、まだ保育園児、上の子は小学校低学年ぐらいで、子どもたちに、まだまだ手がかかる頃だったと思う。
私は、その言葉を聞いて、「そうだよね」と思ったと同時に、「知っているんだ?」と、ザワザワした気持ちになったことを覚えている。それは、私にとって気持ちのよい言葉ではなかった。
実際私は、家でずっと動いている生活を送っていた。早朝のアラームとともに飛び起き、食事の支度をして、洗濯をする。子どもたちにご飯を食べさせ、身支度をさせて、保育園へ送り、仕事へ行く。仕事が終われば、子どもたちを迎えに行く。
帰宅すれば、洗濯物を取り込み、畳み、夕食の準備をして、食べさせて片付ける。それから、子どもたちのお風呂や明日の準備をする。
たまには食材の買い出しにスーパーへ寄る。子どもたちに通院の必要があれば、仕事帰りに病院へ連れて行く。
毎日、やることはいくらでもあった。一日のスケジュールを計算して乗り切らなければ、時間が足りなくなる。
計算していても、子どもたちの体調や機嫌によって、スケジュールなんて一瞬で崩れる。それが私の日常だった。
だから、元夫に「家でずっと動いてる」と言われても、「まあ、そうだよね。座る暇もないぐらい動き続けている」と思ったと同時に、「分かっていたんだ」と、少しモヤモヤと違和感を感じたと思う。

分かっていたのに、なぜ?
「ずっと動いてるよね」という言葉を聞いたとき、元夫が少し離れた立ち位置から見て話しているように感じた。
よく言えば俯瞰して見えているが、家庭を共同で運営するという当事者意識はない。
私が大変なことは分かっている。そこに父親や配偶者として、その大変さを分かち合うという意識はなかった。
妻だから。母親だから。「ずっと動いていて当たり前」そんな前提が働いていたのではないかと思う。
もちろん、元夫自身がそこまで自覚していたのかは分からない。ただ、これまで書いてきた出来事を振り返ると、そう感じる。
私は、そこにある歪んだ構造に気づくことなく、一人で踏ん張り続けた。
それでも、母親だから、そういう生活になるものだと思っていた。周りの人にも助けてもらいながら、とにかく毎日を回していた。
前の記事にも書いたように、義母に預かってもらったり、職場の人、ママ友に助けてもらったり、実家に頼ったり。
いろんな人の力を借りながら、それでも家の中では私が動き続けていた。

当時の私には、深掘りする余白がなかった
「分かっているんだ」という胸のザワザワを抱えながらも、なぜ嫌だと感じたのかを立ち止まって考える余裕は、当時の私にはなかった。
今の私ならどうだろう。小さな違和感をスルーせず、これまでの出来事と照らし合わせながら、その正体を突き詰めていくことができる。
「私がずっと動いていることを分かっているのに、なぜ自分はそこに入ってこないのだろう」
内省し深掘りしながら、そのザワザワした気持ちの答え合わせをする。
- 「家庭を共同で運営する当事者意識の欠如」
- 「家事・育児は母親の仕事という決めつけ」
- 「古い価値観をアップデートできない感覚」
- 「大変そうな姿を見ても手助けすらしない、思いやりの欠如」
今の私なら、ここまで毒を吐くかもしれない。
これまでの積み重ねを考えれば、ここまで伝えたところで、何かが変わることはなかったと思う。散々文句も言ってきたし、愚痴も吐いた。それでも受け取らず、「文句が多い」と言われるだけかもしれない。
そんな伝え方をすれば大喧嘩になり、罵倒されるかもしれない。離婚一直線になったかもしれない。
その時点で離婚して、シングルマザーになっていたかもしれない。シングルマザーとして全く違う人生を歩んでいたかもしれない。
そこまで毒を吐かなかったとしても、伝えたという事実が、自分の中で何かを変えるきっかけになったかもしれない。
当時の私には、そこまで考えることができなかった。
毎日のタスクをこなすことだけに脳のリソースを使っていた。目の前のことを一つずつ片付けていくことで精一杯で、その違和感について考える余裕がなかった。
だから、あの時の「分かっているんだ?」というザワザワ感も、そのまま見過ごしてしまった。
四半世紀以上経った今、このブログを書くために過去の出来事を一つひとつ振り返る中で、あの小さな違和感の意味がようやく見えてきた。
あの頃は見えなかったことが、時を経て経験を重ねた今だから見える。
様々な出来事や、些細な言葉の数々を振り返るほど、当時の生活の中に「夫という存在がいなかった」という現実が、痛いほど明白になっていく。
あの時の違和感は、気のせいではなかった。私が感じていたザワザワには、ちゃんと理由があった。



コメント