喧嘩にすらならなかった、一方通行の訴え|モラハラに気づくまで Vol.9

モラハラ

毎日が綱渡りだった

何度訴えても、喧嘩にすらならなかった。

仕事を続けながら、2歳違いの子どもたちの育児を両立する毎日は、とにかく慌ただしかった。毎日が怒涛のように過ぎていく。

会社では、「少なくとも半年後、一年後を見据えて仕事をするように」、なんてことを言われていたが、「明日のことすら分からないのに、半年後なんて考えられない」、こんな無茶言わないでほしい。そんな思いで働いていた。

子どもの発熱や病気は突然やってくる。明日、無事に出勤できる保証はない。出勤できても、保育園から電話がかかってくるたびに、「また早退しなくてはいけないのか」とヒヤヒヤする。

そんな毎日だったからこそ、何事もなく一カ月働き終えられると、「あー、一カ月乗り越えられたー」と、この上ない安堵感に包まれた。

毎日が綱渡り状態だった。他のママ友たちとも、よくそう話していた。

仕事が終わると、急いで電車に飛び乗り、自転車で保育園へ向かう。自転車の前と後ろに子どもたちを乗せ、大荷物を抱えて家に帰る。

家に着くと、そこからが時間との闘いだった。洗濯物を取り込み、たたむ。保育園から持ち帰った荷物を片付け、洗濯物を出し、翌日の準備をする。布おむつを使っていた頃は、おむつも洗わなければならなかった。夕食の支度をして子どもたちに食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつける。

料理は好きだったので、ここには手を抜かず、ほぼ手作りだった。何をそんなにこだわっていたのかと思う。自分を労るために、少しぐらい手抜きしてもよかったのに。私自身、完璧にやらなければいけない。そんな呪縛にとらわれていたかもしれない。

常に秒単位で動いていたのではないかと思うほど、慌ただしい毎日だった。

ゆっくり座れる日は来るのだろうか

仕事の疲れを癒やしながら、ただ座って過ごす。それが、当時の私の大きな夢だった。

家に帰ってから、ふと考えたことがある。「私、座ることすらできていない」。座ることが夢だなんて。どんな生活を送っているのだろうか。

こんなことを言うと申し訳なく感じることもあるが、仕事に行っている間が自分の休憩時間、そんなことすら考えていた。仕事なら、どんなに忙しくても、きちんと休憩時間もある。

もうあんな生活は二度とゴメンだし、年齢を重ねた今、あの超人的な動きはもう無理だと思う。

そして、日付が変わる頃に元夫が帰宅する。

私が疲れ果てて寝ていることもあれば、起きている日は作っておいた夕食を温めて出す。何もしない夫だったが、自分が食べた食器だけはルーティンのように片付けていた。

元夫がいない方が楽だった

「来週、出張になった」

元夫は、たまに出張に行くことがあった。その言葉を聞くたびに、私は内心ガッツポーズをしていた。元夫がいない生活の方が、ずっと楽で気が休まるから。

一週間ほどの長めの出張になると、ウキウキしてしょうがなかった。元夫がいても楽になることはなく、家事が増えるだけだった。

夫がいない方が楽だと思う結婚生活。そんな人といつまでも平和に暮らしていけるとも思えない。

私の言葉は届かなかった

こんな生活が続けば、不満が積もるのは当然だった。私は何度も元夫に訴えた。

なぜこんなに不公平なのか。

何度も訴えたが、いつものごとく取り合ってもらえなかった。私が一方的に文句を浴びせる。元夫はまったく聞いていない。たまに返ってくる言葉は、私が言ったことのオウム返しだけだった。

だから、私と元夫は、ほとんど喧嘩をしたことがない。というか、喧嘩にならない。

私が一方的に楯突き、文句を言い続けていた。元夫は取り合わない。たまに返ってくるのは「あー」「うーん」と、その場をやり過ごすだけの返事。いつの間にか、私の前からいなくなる。話している途中に消えている。

そんなやり取りでは、受け取ってもらえた実感がなく、壁や空気に向かって話しているようだった。

「暖簾に腕押し」「糠に釘」。元夫を表すなら、このことわざがぴったりだな。そんなことを考えながら文句を言っていた。

これだけ言っても何も響かないのは、私の伝え方がいけないのだろうか。私が悪いのか。また考えてしまうこともあった。

母親だから仕方ないと思う反面、黙っているのも苦しかった。どこに、どう、この思いをぶつけていいのか分からない。そのぶつけ先もなかった。

あまり言うと、「仕事を辞めれば?」と突き放されるだけだった。

働き続けるしかなかった

「仕事を辞めろ」と言うのは簡単かもしれない。

元夫のお小遣いは、元夫の給料の手取り額の3分の1程度。私が仕事を辞めた場合、残った3分の2で生活をしていかなければならない。

それでも、「任せてある」と、私にやりくりの能力がないと言わんばかりに、そう言われるだけ。家計を支えるために働き、家事も育児も私が担っていた。

何をどう頑張ればよかったのか。その答えは見つからなかった。あの頃の私は、もう頑張る限界を超えていた。

私の子育ての思い出には、元夫はほとんど登場しない。

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