長女の夜泣きがひどかった
長女は割と敏感な赤ちゃんで、少しの物音でも起きるし、なかなか寝付かない。夜泣きも2歳過ぎまで続いて、夜中に起こされることも多かった。私が復職してからも、その状況は変わることはなかった。
保育園に預けてから出勤し、疲れた状態で帰宅しても、夜泣きで起こされる日々だった。子育てや夜泣きだけでなく、掃除、洗濯、食事の支度など、家事全般は、私の役目だった。
とはいえ、この時代の子育てはこんなものだったと思う。今でいうワンオペ育児も当たり前だったし、父親も育児に共同参加するという認識も薄かったと思う。
だからこそ、その後に「イクメン」なんて言葉が作られ、イクメンがもてはやされた。私はこの言葉が嫌いだった。たまに少し手伝ったぐらいでなぜ賞賛されるのか?この時代の謎の風潮だと思う。私は、自分の子供なんだから子育てをするのは当然なのに、不思議な言葉が出てきたものだと思っていた。
逆に子育てをしながら働く母親は、「子どもがかわいそう」なんて悪者扱いされることもあった時代。なんとも理不尽な時代だったと思う。
話を戻すと、元夫は家を出る30分前に起きて身支度をし、帰宅すると用意された食事を食べ、そのまま寝る。そんな生活を送っていた。
横で寝ている元夫に気を配りながら、夜泣きする娘をあやしていたつもりだった。そんな気遣いすら気づかれることもなく、元夫は「うるさい。俺は仕事だから向こうの部屋で寝てくれ」と言った。
つまり、私の仕事と元夫の仕事は対等ではなく、元夫の仕事が上で、私が下。何かあったら下の仕事である私が調整するというのが、なんとなくの決まりだった。
「私だって明日は仕事」と、思わず反論したが、いつものごとく取り合ってもらえなかった。私の仕事は遊び半分、趣味程度に働いていると思われていた気がしてならない。
私がいたからこそ、その生活は成り立っていたのだと思う。私という無料の家政婦がいて、自分の好きなだけお小遣いを取り、独身時代よりも気楽な生活ができていたのではないか。今はそう思っている。お小遣い額は、元夫の手取り額の3分の1程度だったので、それでも元夫なりに考えた金額だったと思う。多すぎると何度も反論しても無駄だった。
はらわたが煮えくりかえりそうだったが、そんなことで揉めるより、黙って夜泣きする娘をあやす方が気が楽だと感じていた。ただでさえ睡眠不足なのに、こんなことでさらに睡眠を削りたくなかった。

育児は母親の仕事という風潮
1990年代後半から2000年代初頭、世の中全体が「育児は母親の仕事」という風潮に包まれていた。
よく言われていたのが「三歳児神話」。
三歳児神話とは、子どもが3歳になるまでは、母親が常に子どもの側にいることが、その後の子どもの発達や人格形成にとって最も重要だという考え方のこと。私が子育てをしていた頃には、すでに古い考え方だと言われ始めていたが、それでも、その影響はまだ色濃く残っていたように思う。
「三歳児神話なんて関係ないよね?」自分を慰めるためなのか、そんなことをママ友と話していた。保育園に子どもを預けて働く母親は、多少の後ろめたさを感じていた人も多かったのではないか。
実際に、保育園に預けて「子どもが可哀想」なんてことを面と向かって言われることも日常だった。今となっては考えられないような発言だが、「子どもが可哀想」と何度も言われたことがある。
元夫の存在価値はどこにあるのか?

保育園の送り迎け、朝食の準備、夜の食事、寝かしつけ。いつも一人きりだった。元夫はいつも午前様。本当に仕事だったかどうかは、今となっては知る由もない。
当時は疑うこともなく、「仕事が遅いのだから仕方ない」と思っていた。
今思うと、育児は母親の仕事。たまに空いた時間があって気が向いた時に、ほんの少しお手伝いもどきをしただけで偉い。その考え方そのものが、私の考えとは大きくかけ離れていた。
若くて体力のあった私は、夜泣きで睡眠時間を削られても、正社員として働き続けながらの育児も、何となく乗り越えることができてしまった。不満はあったけど、「こんなものなのかな」と思っていた。
だから、元夫が育児に関わらないことも、不満を抱えながらも、どうすることもできないと思い、元夫に協力を求めようという発想すらなくなっていた。
復職前に、育児の分担をどうするかという話し合いもしていない。育児を分担することを話し合うという発想すら、あの頃の私にはなかった。
育児の責任を全て負わされることも、睡眠不足のまま仕事に行くことも、夫に頼ることができないという状況も、すべて「母親なら当たり前」という、私の無意識に刷り込まれた意識があったのではないか。
若さと体力で乗り越えられてしまった。母親が働き続けることに後ろめたさを感じていたからこそ、不満しかない私でも、そうするしかなかったのかもしれない。



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