入籍前の力関係
私と元夫は6歳離れており、入籍前の1990年代半ばの当時、私は22歳、元夫は28歳だった。その当時の恋愛模様や男女間のお金に対する価値観がかなり違っていた。
当時は、デート代を男性が多めに負担したり、ごちそうしたりするカップルが多かった。特に年上の男性との交際では、それほど珍しいことではなかった。私の周りでも、男性が多く払っているカップルがほとんどだった。
そんな時代に、私と元夫は完全に折半だった。6歳も年上の元夫は、自分が多く支払うことは一度もなかった。
当時は二人で使う財布を一つ用意し、お互いに1万円ずつ入れる。外食も、買い物も、元夫の家で作る食事の材料代も、すべてその財布から支払っていた。
友人カップルは、友人が1万円入れれば、男性側は2万円入れるというような関係だった。ちなみに、その相手は元夫と同じ会社の同僚で、年齢も同じだった。だから、その友人カップルのお財布事情はよく知っているはずだった。
私は、頼り切りたいと思っていたわけではない。この違いはなんだろう?「どうして私は、何もかもきっちり折半なんだろう」と、どこかモヤモヤしていた。
その気持ちを元夫に話してみたことがある。返ってきたのは、「人は人、他所は他所」という一言だった。
腑に落ちない気もしたが、お金のことで、あまりごちゃごちゃ言うのも気が引けて、それ以上、追及するのをやめた。

その財布から使う金額が違う
外食するときも、その財布から支払っていた。元夫は痩せの大食いで、私よりずっとたくさん食べる人だった。
回転寿司へ行けば、私が10皿食べたとしたら、元夫は30皿以上食べることも珍しくなかった。もちろん支払いは共同の財布から。結果的に、私が元夫の食べた分まで負担していることになる。
私は何度も、そのことを伝えた。返ってきたのは、「細かいことをぐちぐち言うな」という言葉だった。
なぜ、自分より多く食べた人の分まで負担しなければならないのか?折半でもなんでもない。こんなの強制に奢らされていることと同じ。そして、その不公平さを伝えても、取り合ってもらえなかったことだった。
今思えば、社会経験も浅く6歳も年下の女性にこのような負担を背負わせて、なんとも思わない気持ちが分からない。
今思うと、元夫がやっていたことは情けないなと思う。また年下の女性の訴えを聞くこともできない人。
今の私なら、「今日はご馳走するね」、そんなこともあるが、社会経験が浅く薄給だった私には、赤の他人の分まで負担する、そんな余裕はない。
今の私なら、こういう人に出会ったら、私はそっと距離を置いて連絡を絶つ。あの頃の私にはそんなこと思いつきもしなかった。
食事を作るのは私の仕事?

会社が終わると、そのまま元夫の家へ向かうことが多かった。仕事で疲れている日でも、ご飯を作るのは私だった。
車を運転しながら、「今日は作りたくないな」「外で食べたいな」と思う日もあった。それでもスーパーへ寄り、食材を買い、元夫の家へ向かう。その食材代も、その共同の財布から支払っていた。それがいつの間にか当たり前になり、モヤっとした気持ちを抱えながら、食事を作り続けていた。
元夫は痩せの大食いで、かなりの量を食べる。今思えば、かなり不公平だったと思う。それでも当時は、「光熱費を払ってもらっているのだから仕方ない」と、自分を納得させていた。
まだ入籍もしていない、赤の他人だった元夫のために、私は食材費を負担し、買い物をして、食事を作っていた。
私は、それが無償労働になっていることに気づけていなかった。その頃から、私は無償で尽くすという関係の中にいた。それは今になって、ようやく気づいたことだった。
今振り返ると、私が感じていた違和感は、折半そのものではなかった。私が納得しているかどうかなんて関係なかった。初めから、私の意見など必要ないことだった。私が負担していることを伝えても、受け止めてもらえないこと。
今振り返ると、私が感じていた違和感は、折半そのものではなかった。私が納得しているかどうかなんて関係なかった。私が負担していることを伝えても、受け止めてもらえなかったことだった。
そして、「対等」であると思いたい私と、初めから主従関係を当然のものとしていた元夫。その価値観を、お互いにすり合わせる機会もなかった。私自身も違和感は感じていたものの、それが何なのかを言葉にすることはできなかった。
これは、当時の私がそう感じていたという話ではない。20年以上の結婚生活と離婚調停を経た今だからこそ、ようやくたどり着いた私なりの結論である。
今振り返ると、その頃にはすでに、「私が合わせる側」「私が負担する側」という関係が出来上がっていたように思う。
完璧な人間などいない、ある程度の不満も受け入れる、それはお互い様だからと思っていた。そうして自分を納得させていたと思う。
その価値観は、結婚後も変わることはなかった。
人生の選択を後悔することもある
なぜ気づくことができなかったのかと思う反面、当時は気づける環境にはなかった。社会経験も浅く、年上の男性にコントロールされていることさえ分からなかった。
もし、その時点で距離を置いていたなら、今の人生は全く違っていたかもしれない。だが、その選択があったから子どもたちがいる。人生の正解って分からない。
あの頃の自分の判断を後悔することもある。それでも、その後の人生を一生懸命生きてきた。
その積み重ねが、今の私を作っている。



コメント