がっかりした気持ちから始まっていた
元々、家族で頻繁に旅行していたが、いつの頃からか元夫と行くのがしんどくなってきた。それでも私は出かけたいし、違う土地を訪れることでリフレッシュできる。夏休みということもあり、私は伊豆に行こうと思い立った。子どもたちを連れて行く計画を立てていた。
元夫は仕事で来ないこともあったので、今回も行くかどうか確認したところ、元夫からは「行く」と返事があった。実は、その返事を聞いて、すごくがっかりした。私と子どもだけで行った方がのんびりできる。
私が無理に誘ったわけではなく、元夫は自分の意思で来た。
伊豆で、私は行きたい場所を決めていた。それなのに、元夫は「時間がない」「面倒だ」というようなことを言って、渋るので、結局は私が折れることになった。
不満があるのなら、そもそも来なければいい。無理に誘ったわけでもないのに、それなのに私の行きたいところに行けない。
その場では、表面的に合わせた。心の中では、元夫に合わせる、気持ちを汲みとる、歩み寄ろうという気持ちは全くなかった。
宿の手配などの準備も私がして、旅行費も私が出した。それなのに、行きたいところに行けない。なんとも後味の悪い旅行だった。結果的に、それが家族の最後の旅行となった。
それまでにも、元夫と旅行に行くのはしんどいなと思うことが何度かあった。そうしたことが少しずつ積み重なっていて、伊豆での出来事がきっかけになり、もう二度と元夫と旅行に行くのはやめようと思った。
そもそも、私には元夫と一緒に旅行をしなければならない理由がなかった。私は自分で旅行の計画を立てるし、お金も出す。長距離の運転も苦にならないので、子どもたちを連れて、自分一人でどこへでも行ける。
一般的には、家族旅行となれば男性が運転することも多いと思う。東海地方から伊豆なら、私にとってはかなり近い距離だったし、一人でも九州など遠方まで運転できる。運転手としても、元夫を必要としていなかった。
お金も出す、旅程も決める、運転も自分でする。それなら、元夫と一緒に行くより、子どもたちを連れて気ままに行った方が、ずっと気楽な旅行ができる。
私は、ある意味かなりマイペースな人間だと思う。のんびりしているという意味ではなく、自分のペースで動く方が好き。それでも人に合わせることもする。ただ、相手に合わせすぎると、だんだんストレスを感じてしまう。
私自身が、元夫に合わせることをしんどいと思ってしまうことも、夫婦関係に溝を作る一因だったのかもしれない。元夫が私のことをどう思っていたのか分からないが、どう思われてももう構わないとすら思っていた。

この時点で、すでに壊れていた
夫婦であれば、こういう些細なことは、どちらかが折れたり、話し合ったりして、なんとか収まるものだと思う。私と元夫の間には、そもそもそれが成立していなかった。
話し合う、譲り合う、歩み寄る。夫婦であれば当たり前にあるはずのその構造自体が、私と元夫の間にはなかった。伊豆で揉めたこと自体が問題なのではなく、その構造がすでに成り立っていなかったこと。それこそが、この時点で夫婦としてすでに壊れていたことの証拠だったのだと思う。
「もう二度と、この人と旅行に行くのは無理」
その場で、そう心に誓った。
実際、それ以来、家族旅行に行くことは一度もなかった。それからは、私一人でどこかへ行くか、子どもたちだけを連れてどこかへ行くか。そのどちらかになった。

土地を買う時にも、同じことを思っていた
これは、伊豆での出来事そのものが原因だったわけではないと思う。それまでに積み重なってきたものが、あの些細な行き違いをきっかけに、はっきりと形になっただけだった。
土地を買う時、「この人とはもう一緒にいられない」と思ったのと、これは同じことだったのかもしれない。土地の件は人生を左右する大きな決断で、旅行の件は小さな出来事。ことの大きさは全然違う。それでも、一度「もう無理」と思ったことを、その後も覆すことはなかった。それだけ、積み重なっていたものが大きかったということなのだと思う。



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