自分が育った家庭と、私に求めた家庭が違いすぎた|モラハラに気づくまで Vol.22

モラハラ

「嫁に甘い顔をしたらつけあがる」

前回の記事で、元夫から唐突に発せられた「嫁に甘い顔をしたらつけあがる」という言葉について書いた。言葉には元夫の考え方や本質がよく表れていたと思う。

妻の意見を聞くこと。受け入れること。妻が何を望んでいるのかを聞き、妻が困っているときに手を差し伸べる。

それは元夫にとっては、「妻をつけあがらせること」になる。

では、なぜそんな考え方をするようになったのだろう。

結婚生活を振り返るうちに、私は元夫が育った家庭についても考えるようになった。

そして、どうしても腑に落ちないことがあった。

自分が育った家庭と、私に求めた家庭が、あまりにも違いすぎる。

義実家からの「お土産」

子どもたちが小さい頃、急な発熱や体調不良のときには、義母に預かってもらうことがあった。

義母には助けてもらったことも多い。本当に感謝している。義母がいなかったら、私は仕事を続けることができなかったと思う。

ただ、子どもたちを預けると、帰りには毎回のようにいろいろなものを持たされた。

スーパーで買った惣菜、釜飯の素、風邪薬、カルシウム補給のウエハース。毎回、だいたい同じものだった。

私は「いらない」「使わない」と断っていた。

それでも、次に預けると、また同じものを持たされる。子どもたちの荷物だけでも大変なのに、断っているものまで加わる。

持って帰ること自体が、すでにストレスだった。毎回同じものをもらえば、そう簡単には使い切れない。

私は釜飯の素は使わないし、風邪薬も自分に合うものがあるから使わない。お惣菜は元夫が食べれば何とか消費できる。

家にはどんどん溜まっていった。釜飯の素も風邪薬も使い切れず、職場の人にもらってもらったりした。

子どもたちが大きくなってから、私が仕事で家を空けるときに、元夫が子どもたちを実家へ連れて行くこともあった。

そのときも、帰ってくると、また同じものを持って帰ってくる。

私は元夫にも、「いらないから断って」と何度も言っていた。

それなのに、そのままもらって帰ってくる。何度言ったか分からない。何度同じことを言っても伝わらない。

それをもらって来て、自分が責任を持って消費してくれるなら何ら問題ないが、その後処理は私の役目だった。

義母は、良かれと思ってしてくれていたのだと思うが、私にとっては必要のないものだった。

家に釜飯の素や風邪薬がずらっと並んでいくこと自体が、すでにストレスだった。子どもを預けることで助けてもらう。その一方で、帰りにはまた別のストレスを持ち帰る。

もらったものをどうするか、その後始末まで自分の仕事になる。当時の私は、そんなことにも疲れていた。

元夫の実家では、これが普通だった

元夫が実家で生活していた頃、義母はパートで働いていたそうで、仕事の帰りにスーパーで惣菜を買ってくることが多く、それが家の食事となることが多かったという。

元夫自身も、「惣菜ばかりだった」と話していた。

私が知っている頃には、義母はすでに仕事を辞めていたが、それでも毎回のようにスーパーで買ってきた惣菜が出てきた。

同居していた9歳年上の義姉は独身だったためか、料理などは母親に頼っているように見えた。仕事はしていたが、フルタイム勤務ではなかったように思う。

だからこそ、子どもたちの急な保育園のお迎えに行ってもらえたことは、本当に助かっていた。

義母は車の運転ができなかったので、義姉がいないとお迎えには行ってもらえない。

助けてもらったことには、もちろん感謝している。

それでも、私は自分の生活との違いを考えてしまうことがあった。私は正社員として働きながら、家事も育児もしていた。

子どもが熱を出せば、仕事の調整をする。保育園から呼び出されれば、迎えに行く。家に帰れば、食事を作り、洗濯をして、翌日の準備をする。

座る暇もないくらい動いていた。なにしろ、その頃の私の夢は、「仕事から帰ってゆっくり座ること」だった。

そんな私から見ると、元夫が育った家庭は、ずいぶん違って見えた。私には、ゆっくりした生活を送っているように見えた。

どうして私には、そこまで求めたのだろう。義実家と私に求められているものの違いに、なんとも言えないやるせなさを感じていた。

そんな環境で育った元夫が、「家事や育児は女の仕事」というような考え方を持ち、それを当然のように私に求めてきたこと。

自分が育った環境では母親も姉もそうしていなかったのに、なぜ私には、自分の母親以上の役割を押し付けてきたのか。

その差が、私にはどうしても腑に落ちなかった。

家庭環境はそれぞれなので、義実家がどんな食生活をしていたか、親がどこまで家事をしていたか、それぞれの家庭の考え方でいい。

そこを問題にしたいわけではなく、私が疑問に思ったのは、なぜ、自分が育った環境とは大きく違う生活を、私には求めたのだろう、ということだった。

私が仕事をしていることも、疲れていることも、子どもたちのことも、元夫にとっては「私がやること」だった。

私を「私」として見ていたのだろうか

今になって考えると、もしかすると元夫は、自分が育った環境とは違う生活をする人として、私を選んだのではないかと思う。

料理をしてくれる人。家事ができる人。そういう人を、無意識のうちに求めていたのではないか。

一度だけ、元夫に聞いたことがある。「私の置かれている環境と、義実家の環境はあまりにも違いすぎないか?私に全部押し付けすぎなのではないのか?」

どんな答えがあったのか、答えが返ってきたのかすら覚えていない。私はそんなことを口に出してはいけないと思いつつも、聞かずにはいられなかった。

それとも、私が一人で空回りしていただけなのか?

義実家と同じように扶養内で働いて、毎日、お惣菜で済ませればよかったのか?

ただ、あの頃の生活を振り返ると、そんな疑問が残る。

私が「私」としてどういう人間なのかを見るよりも、自分の生活にとって、何をしてくれる人なのか。そちらのほうが大きかったのではないか。

前々回の記事で、「私が家事ができるから結婚したの?」と考えた。

結婚後の生活を振り返っても、その疑問は消えない。時間が経った今だからこそ、別の角度から同じ疑問が浮かんでくる。

私は妻として選ばれたのだろうか。それとも、自分の生活を支えてくれる人として選ばれたのだろうか。

当時の私は、そこまで考えることはできなかった。ただ、目の前の家事と育児と仕事をこなすことで精一杯だった。

今振り返ると、私が感じていた違和感は、もっとずっと前から始まっていたのかもしれない。

未だに謎が残る。

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