守られる側だった義母と義姉
前回の記事で、元夫が育った家庭には、「上の人の言うことを聞く」という構造があったのではないかと書いた。
もう一つ、私がずっと腑に落ちないと思っていたことがある。
義母や義姉は、私から見ると、家庭の中で守られている女性たちだった。義母は、専業主婦として家のことをしていた。義姉も実家で暮らし、パートやアルバイトで働いていた。二人とも、私から見ると、義父の収入に支えられながら生活しているように見えた。
私は、専業主婦になりたかったわけでもないし、扶養内で働きたかったわけでもない。せっかく働くなら、自分で生活できるような働き方をしたいと思っていた。
義母や義姉が守られているように見えたことを、特段羨ましいと思ったこともないし、私はそうなりたくないとさえ思っていた。
自分で何でもできることと、何があっても自分一人で背負わなければならないことは、別の話だった。
夫婦なのに、私は「守られる側」になることが一度もなかった。
元夫は、義母や義姉が守られている家庭で育ったはずなのに、なぜ私には、それがなかったのだろう。

元夫が倒れたとき、私は支えた
元夫は、椎間板ヘルニアを患い、しばらく入院したあとに、前職を退職した。
どのくらいの期間だったかははっきり覚えていないが、下の子がまだ2歳前後で、一番手のかかる時期だったことは覚えている。仕事帰りに、子どもたちを連れて、洗濯物を取りに行ったり必要な物を届けたりしていた。
「また、病院に行かなければならない」
そんなことを思ってはいけないとは思いつつ、正直なところ面倒だったし、体力的、時間的にかなりの負担だった。車で病院に行く途中、夕焼け空を見ながら、赤信号で停止中にそんなことを考えていたことを、今でもはっきりと覚えている。
なぜ、私の生活はこんなに慌しいのだろう。なぜ、こんなに時間に追われているのだろう。
元夫は退職した後、再就職のために資格を取る勉強をすることになり、一年ほど、私の扶養に入れた。その間の生活費も、私が支えていた。
当時は、それを特別なことだとは思っていなかった。元夫が再出発するために、私が支える。それが当然だと思っていた。
私は、あの一年間、元夫を支えたつもりでいた。
何年か後になって、そのときのことが話題になったことがある。元夫は、給付金をもらっていたのだから、私に支えてもらったわけではない、と言っていた。資格が取れたのも、自分が頑張ったからだ、とも言っていた。
その場で、勉強できる環境があって、生活を整えてもらっていたからこそ勉強できたのではないか、と私は伝えた。ただ、その言葉は届かなかった。
私は支えたつもりでいて、元夫は支えられたと思っていない。同じ一年間を、まったく違う形で覚えている。
そんなところでも認識が違っていたのかと思うと、やるせない気持ちになった。

私が体調を崩したら、どうなる?
では、私が体調を崩したときはどうだったのか。
私は、39度を超えるインフルエンザに、3回ほどかかっている。まだ子どもたちが小さかった頃は、高熱でフラフラする体を何とか支えながら、子どもたちをお風呂に入れていた。
そんな状態でも、私は一人で子育てをしなくてはいけないんだな。半泣きになりながら子どもたちをお風呂に入れていたことを、今でも覚えている。
さすがに、そんなときくらい、早く仕事を切り上げて帰ってきてくれてもよさそうなものなのに、そんな配慮は一切なかった。自分がどんなに具合が悪くても、子どもたちの世話は私がする。それが当たり前になっていた。
そして、水疱瘡にかかったときには、40度を超える熱が続いた。
最初に病院へ行ったとき、入院した方がいいと言われた。入院してしまえば、子どもの預け先がない。それで、そのまま家に帰った。
その後、急激に体調が悪化した。近所の方に車を出してもらい、病院まで連れて行ってもらったこともある。
結局そこでも入院することにはならず、そのまま実家を頼ることになった。なぜあのとき入院に踏み切らなかったのか、今となっては自分でもよく分からない。
私は、いろいろな人に助けてもらった。実家の家族にも、近所の方にも助けてもらった。
一番身近にいたはずの元夫に助けてもらった記憶は、ほとんどない。
もしかすると、私が忘れているだけなのかもしれない。そう思って、記憶をたどってみる。あのときはどうだっただろう。何かしてくれたことはあっただろうか。
いろいろ思い出そうとしてみても、自分が体調を崩しているときに、元夫が近くにいてくれたという場面が、どうしても思い浮かばない。
本当に何もなかったのか、それとも私が忘れているだけなのかは分からない。今の私の記憶の中には、そういう経験が残っていない。
私は強すぎたのか
もしかすると、私は何でも自分でやってしまったのかもしれない。仕事も、子育ても、家庭のことも、元夫が倒れたときの生活費も、全部自分で何とかしてきた。
だから、元夫からすると、私は「大丈夫な人」だったのかもしれない。
できることと、支えてもらわなくていいことは違う。私は、守ってほしかったわけではない。自分で働いて、自分で生活することは、自分で選んだ。
ただ、いざというときに「この人に頼ればいい」と思える人ではいてほしかった。
義母や義姉が守られているように見えた家庭で育った元夫。その家庭の中で、女性が守られるという部分は、なぜか私には当てはまらなかった。
一方で、自分より下の立場だと思っている人には、自分の言うことを聞かせる。その部分だけは、私との関係の中では、はっきりと感じていた。
守られることのないまま、支える側であり続けた私。
私という存在は、一体何だったのだろうか?



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