義母には感謝している
子どもの体調が悪い時も、義母には何度も助けてもらった。子どもの体調不良の時など、預かってもらうことをお願いすると、いつも快く引き受けてくれた。本当に感謝している。
息子の火傷の時もそうだった。
あの時、義母が駆けつけてくれなかったら、私はもっと大変だったと思う。
あの時、元夫がいつ帰ってきて、どんな反応だったのか全く記憶にない。
助けてもらうにも準備が必要だった

助けてもらえることと、気軽に頼れることは違う。義母には、実母のように言いたいことを言えないので、やはり気を遣う。
義実家で預かってもらう日は、いつもより一時間ほど早く家を出る。子どもの支度をして、義実家まで送り届け、それから会社へ向かう。
帰りも迎えに行き、家へ帰る。
時間もかかるし、いつも以上に気を遣う。帰宅すると、気疲れでいつも以上にぐったりしていたことを覚えている。
その頃、義母は60代半ばごろで、働いていなかったので、お願いすればだいたい預かってもらえた。
「ありがとう」と「申し訳ない」と「疲れる」が、いつもセットだった。休める環境なら、休んだ方が楽だった。
当時は、母親が育児をしながら働き続けていることは、まだ少数派であり、子どものことは母親がなんとかし、会社に迷惑をかけない。そんな考え方が主流だったように思う。今の時代の感覚とは大きく違う。
義母に預かってもらえると言っても、前もって分かっている時だけだった。その場合は、私が前日に義実家に連絡し、私が義実家まで連れて行く。
ここでも元夫は登場しない。
義実家への連絡、義実家へ連れて行くこと、義実家へのお迎え。元夫が参加しても良さそうなのに、ここでも元夫は登場しない。
お迎えに関しては、子どもたちが大きくなってから、行ってもらうようにした。と言っても、預けること自体も減っていたし、数回、迎えに行ってもらった程度だった。
子どもたちが大きくなり、留守番をすることができるようになると、預かりをお願いすることもなくなっていった。
元夫が休みで子どもたちと留守番をしている時、元夫は子どもたちを義実家へ連れて行っていることが多かった。
「もう手もかからないのに、わざわざ義実家へ連れて行かなくてもいいのに」
心の中で、いつも思っていた。
朝、子どもが熱を出したりすると、突発の場合は私が休むしかない。夜中に子どもの調子が悪いとぐずり出す。そうなると、熱を出したり、体調を崩していることも多かった。
寝る前はなんともなかったのに。
「あ、また私の子どもの体調管理不足だな。なんか無理させたかな?お風呂の後、すぐに着替えさせなかったから?」
色々考えると同時に気分が沈む。明日の仕事、どうしよう。
当時はシフト制の職場にいたので、私の代わりに誰か出勤できる人はいないのか探さなければならない。
それでも、いつも私の代わりに出勤してくれる人がいた。
実母と同年代の方で、常勤で働かれてはいなかったので、「いつでも言ってきてね」と言ってくださり、本当に甘えっぱなしだった。
助けてもらうこともエネルギーがいる

「預かってもらえるんだからいいじゃない」
そう思われるかもしれない。実際、その通りだと思う。助けてもらえたことには、本当に感謝している。
ただ、助けてもらうこと自体にも、時間と気力が必要だった。感謝していることと、負担を感じることは、両立する。
そして私は、義母だけに助けてもらっていたわけではない。
義姉にも助けてもらった。
職場の人にも助けてもらっていた。
駐車場を無料で貸してくれた年配の方もいた。
雨の日には、自転車通勤の私を見兼ねて、車で送ってくれたママ友もいた。
時には、実母に子守してもらい、実家から2時間かけて通勤することもあった。
いろんな人に助けてもらいながら、毎日を回していた。
「頼る」ということの違和感
私は、元夫にお願いしたのか?多分、お願いするという発想自体がなかったのだと思う。
息子の火傷の時と同じように、助けてもらえる人、頼れる人のリストには、元夫の名前はなかった。
そもそも、「頼る」とか「助けてもらう」というのは、おかしい。
家庭を共同運営する立場なのだから、お互いの状況を考えながら協力する立場のはずだと思う。「夫に子どもを見てもらう」ではなく、二人の子どもなのだから、二人で状況を見ながら動く。
そんな関係が普通なのだと思う。
頼るということは、主体が私になる。私が家庭を回していて、私が困っていて、私が夫に助けを求める。
今になって考えると、その構造そのものが歪んでいた。
当時の私は、そんなことに気づくことができなかった。それだけ毎日が必死だった。
「文句ばかり言いやがって」
いつの頃だったか、元夫に言われた言葉がある。
「文句ばかり言いやがって」その一言は、今でも頭から離れない。
協力を求めることもできない。頼ることもできない。愚痴を吐くことも許されない。
それでも、毎日は回さなければならない。
子どもたちを保育園へ送り、仕事へ行き、迎えに行く。食事を作り、片付け、洗濯をして、明日の準備をする。
子どもが病気になれば病院へ連れて行く。誰かに助けてもらう時には、そのための段取りを考える。それでも翌朝になれば、また同じ一日が始まる。
なぜ、当時の私はあんなにも突っ走って頑張ることができたのだろう。
今になって思う。頑張ることができたのではなく、頑張るしかなかったのだと思う。
一番頼りたい人は誰だったのだろう
元夫を頼るという発想だけは、最初からなかったと思う。本来、一番気兼ねなく頼れるはずだった人は、誰だったのだろう。
これだけの歳月が流れて、ようやくそのことを考えるようになった。



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