同じ部屋で生活するなんて無理だった
家を建てると決めた頃、元夫の一言がきっかけで「子どもたちが成人したら離婚しよう」と心に決めていた。
そこから家を建てるのを止める選択肢もあったのかもしれないが、引っ越すこと自体はすでに決まっていたので、そのまま計画を進めた。
設計の段階で、工務店の年配の男性から「夫婦は同じ部屋じゃなくては絶対ダメ」と言われたことがある。私は「一緒の部屋で生活するのは絶対無理です」と、強く拒否した。その男性は、少し渋い顔をしながらも、断固として拒否する私の意見を受け入れてくれた。
隣で聞いていた元夫がどう思ったのかは分からない。工務店の人という第三者がいたからこそ、遠慮なく自分の気持ちをぶつけられた、というのが正直なところだったと思う。嫌な思いをしたとしても自業自得だし、思い切り嫌な思いをして凹んで欲しいとすら思っていた。精神的にも生理的にも、もう限界だったのだと思う。
引越し前から、同じ屋根の下にいながらすでに別々のような暮らしだった。
元夫は休日や早く帰ってきた日も、自分の部屋にこもることがほとんどだった。私と子どもたちはリビングで過ごす。子どもたちが騒いだりぐずったりすると、「うるさいっ、静かにしろ」と怒る時だけ部屋から出てきて、言いたいことだけ言うとまた閉じこもる。
子どもたちがまだ赤ちゃんだった頃、「夜泣きがうるさいから、あっちの部屋で泣き止ませろ。俺は明日仕事がある」と言われたこともある。私も翌日は同じように仕事だったのだが、元夫にとってそれは関係なかったらしい。
そんな生活を送っていたからこそ、どれほど世間一般の正解を説かれても、気持ちがついていくはずもなかった。自分の空間や自由な時間を失うことへの恐怖も、大きかったのだと思う。

夫婦関係を戻す努力は、もうしていなかった
元夫が変わることを期待していなかった。自分から歩み寄って修復しようという気持ちも、すでになかった。
こうして振り返ると、私自身が夫婦関係を元に戻すことをすでに拒んでいたのだと分かる。それなのに「家を建てて環境が変われば、何か変わるかもしれない」という矛盾した淡い期待も切り捨てきれずにいた。
離婚は決めている。同じ部屋で寝ることすら拒んでいる。それなのに、家は建てる。
自分がこの家で過ごすのは、子どもが成人するまでの10年だけかもしれない。それでも、キッチンなどの水廻りは私が楽しみながら選んだ。自分の好きなものを選べるワクワク感は、確かにあった。ただ、心の片隅では、「私はずっとここに住まないかもしれないのに」と思いながら選んでいた自分もいた。
元夫は一切口を挟んでこなかった。「家事は妻の仕事」と思っていたからかもしれないが、私にとってはそれが救いでもあった。
夫婦関係ではなく「自分の生活」を変えたかった

今になって考えると、私が変えたかったのは夫婦関係ではなく、生活そのものだったのだと思う。
それまでの生活に、私はずっと違和感を抱えていた。以前住んでいたマンションも、元夫が決めたものだった。住環境としては便利で場所も気に入っていたけれど、そこに私の意見は反映されていなかった。
私は、誰かに自分の人生や暮らしを決められることに、強い抵抗感がある。どんな条件かを考え、話し合い、自分で納得して選びたい。そういうプロセスの積み重ねこそが、私にとっての尊厳だったのだと思う。
家を建てるという決断は、離婚を決めた私が「自分の人生の主導権」を取り戻すための、必死の選択だったのかもしれない。
もし土地の件がなかったとしても、遅かれ早かれ離婚を決意する時は来ていたと思う。あの出来事はきっかけに過ぎず、それまでに積み重なっていた不信感が表れただけだった。
夫婦関係が変わることを期待していたのか、自分の気持ちを変えたかったのか。当時の私はその矛盾を抱えたまま、前へ進むしかなかった。
そして、その家が完成した頃には、元夫との心の距離はさらに離れていくことになった。
つい先日、たまたまその頃住んでいた土地に行く用事があり、帰りにスーパーに立ち寄った。そこで、あの工務店の男性がレジに並んでいるのを見かけた。当時60歳前後だったと思うが、すっかりおじいちゃんという風貌になっていた。家を建ててから、もう17年が経っている。
正面で出くわしそうになったところで、思わず避けてしまった。こちらも風貌は変わっているだろうから、向こうは気づかないと思う。それでも、当時の思いが一瞬で蘇ってきたことと、もし何か聞かれたら嫌だという気持ちが先に立ち、思わず避けてしまった。
あの頃、断固として「同じ部屋は無理」と言い切っていた自分を、17年経った今も、ふとした瞬間に思い出す。



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