「支えていたことすら、元夫には分かっていなかった」|モラハラに気づくまで Vol.26

モラハラ

「支える」ということ

前回の記事で書いたように、元夫は、私に支えてもらった認識がなかった。給付金をもらっていたし、資格が取れたのは自分が頑張ったからだ、というのが元夫の言い分だった。

私は、誰かを支えるというのは、お金を出すことだけではないと思っている。相手が何かに集中できるように、環境を整えたり、生活を調整したり、収入が減ったことで家計をどう回すかを考えたり、自分が別のことを引き受けたりする。そういうことも含めて、支えるということだと思う。

元夫が学校へ通って資格を取るための一年間、私はそうしていたつもりだった。ただ、そういったことは、元夫には見えていなかったようだった。

たった一つの負担が減るだけで

元夫が学校に通っていた間、朝の保育園への送りだけは、元夫がしていた。私の朝のタスクが一つだけ減った。たった一つだけど、私はそれが本当に楽だった。

朝、子どもを保育園へ送らなくていい。それだけで、仕事へ行くまでの時間に余裕ができたし、自分だけのペースで動ける時間ができ、負担がかなり減った。たった一つの負担が減るだけで、こんなに生活が楽になるんだと思った。

一方で、元夫は、そのことをかなり大きな貢献だと思っていたようだった。

ただ、それ以外の家事や子どものこと、家計のことまで含めて、家庭全体をどう回していたのかというところは、元夫にはあまり見えていなかったのだと思う。

元夫が就職すると、また私が保育園へ送る生活に戻った。

見えていたのは、自分の貢献だけ

前回までの記事で、元夫が育った家庭について考えてきた。

今になって思うと、元夫の中には、自分がやっていることは残っていても、相手がやっていることは、あまり残っていなかったのかもしれない。

朝、子どもを保育園へ送っている。学校へ通い、資格を取るために頑張っている。給付金ももらっている。元夫からすれば、それらは自分がやっていることだった。

その間に私が家計を見直し、生活を回していたこと。私が仕事を続け、保育園の朝の送り以外の子どもたちのことをやっていたこと。そういったことは、元夫の中では「私が支えていた」ということにはならなかった。

そして、それは一度だけのことではなく、日常のことだったのかもしれない。

家事も、育児も、日々の細々としたことも、私がやっている間、元夫の目にはほとんど映っていなかった。

自分がやったことは、はっきり記憶に残る。相手がやっていたことは、自分の関心がなければ、目の前で起きていても、存在しないのと同じになる。

これは、そもそも見ようとしていなかった、あるいは見る必要すら感じていなかったのだと思う。

私は、夫婦であれば、お互いが何をしているのか、相手がどんな負担を抱えているのかを見ながら生活していくものだと思っていた。けれど、元夫にとっては違ったのかもしれない。

自分が家庭に貢献していることは分かっていても、私が家庭のためにしていることは、見えていなかった。

私にも見えていなかったもの

一方で、私にも、見えていなかったものがあったのだろうか。

仕事を失い、資格を取るために勉強していた一年間、元夫自身がどんな気持ちでいたのか。そこまで想像していたかと言われると、全く自信がない。

ただ、元夫は家にいることも少なく、家事にも育児にも、ほとんど関わらなかった。今振り返っても、私が見落としていたものが具体的に何だったのか、はっきりとは分からない。

見えていなかったものがあるとすれば、それは何だったのだろう。その問いは、今も答えの出ないまま残っている。

それでも、今になって思う。

お互いに見えているものが、こんなにも違っていたのなら、私の意見を伝えても、伝わらなかったのかもしれない。

そもそも、私たちには「話し合う」という経験自体がほとんどなかった。話し合った覚えが、ほとんどない。

同じ出来事を見ていても、見えているものが違えば、伝わる言葉も、届く言葉も、まるで別のものになる。話し合いにすらならなかった理由は、案外そんなところにあったのかもしれない。

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