「夫育て」という言葉に違和感があった|モラハラに気づくまで Vol.12

モラハラ

なぜ私が育てなければならないのか

「夫の育て方が悪かったのでは?」そんな言葉を耳にすることがある。いわゆる『夫育て』。今でも使われているのだろうか?

私は、その言葉自体、その考え方にずっと違和感を持っている。この言葉を聞くと、なんだかむず痒いというか、モヤモヤするというか、とんでもない言葉が作られたなと思った。

初めてこの言葉を聞いた時、強烈な違和感を感じたのを今でも覚えている。

家事育児の負担が私にのしかかり、協力しない配偶者をコントロールする。自分の子どもではあるまいし、なぜ育てる?ただでさえ大変なのに、さらにそこに『夫を育てる』ことまでが妻の仕事なのか。

子育てだけでも大変なのに、その上『夫育て』まで求められる。私には、とても受け入れられなかった。

私自身、元夫へは言い方がきついこともあった。もっと丁寧に伝える必要があった場面もあったのかもしれない。それは私自身の課題だったと思う。

一方で、あえて言わなかったこともある。

こんな状況を見ても気づかないのか。夫婦なのだから、それくらい気づくのが当たり前だろう。私はそう思っていた。

だからといって、「夫を育てる」という考え方に納得できるわけではない。

それは全く別の話だと思う。元夫は、自分の方が偉いと思っている人だった。私の仕事は大した仕事ではない。家事も育児も母親の仕事。そんなことを堂々と言う人だった。

そんな考えだから、自分は手伝ってやっている側。そんな価値観の人に、なぜ私がへりくだってお願いしなければならないのか。

「伝え方が悪い」と言われた瞬間、伝わらなかった責任は全部こちら側にくる。

『褒めて伸ばす』『機嫌をとって上手にお願いをする』

そんなことを言われるが、私はそこまで高度なマネジメント技術を持ち合わせていない。常に不満を持っている相手に対して、仏様のように優しく諭すように接することもできない。

そうやって相手をうまく操縦する術は身につけていないし、『夫育て』なんてやりたくない。

家庭は共同運営ではないのか

家庭は会社ではない。

会社では、育った環境も価値観も違う人たちが集まって仕事をしている。同じ言葉でも受け取り方は人それぞれ違うし、「言わなくても分かる」は通用しないことも多い。

だから、自分の考えや思いを丁寧に伝え、相手がどう受け取ったのかを確認しながら、お互いの認識をすり合わせていく必要がある。それが仕事だと思っている。

家庭は違う。

私は、一つの家庭を一緒に運営していく共同運営者だと思っている。

もちろん価値観の違いにぶつかることはある。それでも、お互いが歩み寄り、納得できるまで話し合い、意見をすり合わせていく。それが夫婦だと思っていた。

どちらか一方が相手の機嫌を見ながら、伝わるように工夫し、育てるように関わらなければならないものなのか。

夫は子どもではない。私と同じ大人であり、同じ家庭を支える立場の人間なのに。

上司と部下のように、明確な上下関係があるのであれば、片方が教える、片方が教わる。育てる、育てられる。その関係は分かる。

夫婦は違う。

「夫育て」という言葉には、そんな上下関係がないはずの夫婦なのに、妻が夫を上手に動かし、気づかれないように褒めて、おだてて、育てていく。そんなニュアンスが含まれているように感じる。

当時の我が家は、元夫の方が自分の立場は上だと思っていた。それなのに、さらに私が下手に出て、機嫌を取り、気づかれないように夫を転がしながら育てなければならない。

大の大人である夫の気分を上げ、育てていることに気づかれないようにまで配慮する。そこまでして夫婦でいなければならないのか。私には、どうしても受け入れることができなかった。

対等な関係でいたかった

元スナックのママをしていた友人が、「男なんて5歳児だと思って、おだてて接しないとダメ」なんて言うことがある。私は、その考え方には納得できないと、言われる度に伝えている。

友人の言うスナックのお客様であれば、話を聞いてもらいたかったり、ストレスを発散しにきていたりする。そこには対価が発生しているので、子どもだと思って接し気分を上げる。そう言うスタンスには納得できる。

それと家庭の共同運営者を同じように語ることはできない。家庭の共同運営者に、ずっと5歳児のように接し続けることなんて、私にはできない。そもそも自分の意に反することをやり続けるなんて無理。

私が求めていたのは、家事も育児も半分ずつということではない。

家事は私の方が得意だしスキルも私の方が断然上、スピードも全然違う。だから、私が多くやること自体は何とも思わない。元夫に任せる方が面倒だし、私一人でやった方がよっぽど早いし、ストレスもかからない。

得意な方がやればいい。時間のある方がやればいい。その時々で、お互いに足りないところを補い合えばいい。

「いつもありがとう」

その一言があれば、多少の不公平ぐらいなんてことはない。ただ、それを当たり前だと思われることだけは許せなかった。

私だけが歩み寄るのではなく、元夫も歩み寄る。私だけが伝え方を工夫するのではなく、元夫も伝え方を工夫する。

私が求めていたのは、そういう対等な夫婦だった。

その考えは、離婚した今も変わらない。

だから私は、今でも「夫育て」という考え方に納得できない。

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