私の意見は、いつから反映されなくなったのだろう|夫婦の違和感 Vol.4

夫婦の違和感

いつから反映されなくなったのだろう

「大した仕事ではない。」
「働きたいなら、パートでもいいだろ!」

元夫は、そんなふうに私の仕事を軽く見ていた。正社員としてずっと働き続けていたのに、こんな言われようだった。

それなのに、戸建てを購入するときには、私の収入を合算しなければ希望額の住宅ローンは通らなかった。

住宅会社の方から、「奥様の源泉徴収票があれば、希望額のローン審査は通ると思います」と言われ、私は素直に源泉徴収票を提出した。今になって思えば、

「提出しません」

そう言うこともできたはずなのに、その発想すらなかった。

その時点で、私は将来の離婚を考えていた。それなのに、なぜ反発することすら思い浮かばなかったのか。無意識に、その場で起こる争いを避けていたのか。

もし、あのとき私が源泉徴収票を提出していなかったら、自宅を建てることもなく、その時のマンションに住み続けていたのだろうか。今頃、違う人生を歩んでいたのだろうか。

元夫は体調を崩し前職を退職した際、1年近く私の扶養に入って生活していた時期があった。それほど私の収入や存在に支えられていたにもかかわらず、私の仕事だけでなく、私という存在そのものを軽んじていたように思う。その矛盾したプライドの理由は、今でも分からない。

人生の節目で私の意見が反映されることはなかった

人生の大きな節目では、何事も元夫の意思だけが反映され、私の意見が受け止められることはなかった。いくつものことが思い出される。

結婚前の新婚旅行の行き先を決める時もそうだった。私の希望は無視され、「俺が決める」と言われて終わった。義姉からも「普通は女の子の意見を優先するものではないの?」と、アドバイスがあったが、「俺が決める」と頑なに譲らなかった。

最初のマンション購入も、元夫が意思決定した。私は別のマンションがいいと思い、その気持ちを伝えたが説得された。結婚前で、頭金を出していなかったこともあり、仕方ないと自分を納得させた。

子どもが生まれてすぐに新車へ買い替えたときも、「高すぎる!」という私の意見は聞き入れられず、いつの間にか契約していた。そして、ローンの支払いや金銭管理は私の仕事だった。

そして、今回の土地購入。

「もう少し、いろいろな土地を見てから決めたい」
「私の通勤に負担がかかりすぎる」

そう伝えた私の言葉も、冒頭の言葉のように、無言の「俺に従うのが当然」と言わんばかりに、そのまま話は進み、私の勤務中に勝手に土地契約を済ませてくる。そんな人だった。

「話し合う」という夫婦のプロセスがなかった

私は何も言わなかったわけではない。その都度、自分の意見は伝えていた。伝えたところで、私の意見はなかったことのように流される。元夫には他者の話を受け止めるというプロセスがそのものが欠けていた。私が何をどう言おうと、結論は変わらなかった。

話し合って決めるという夫婦としての会話はほとんど記憶にない。

そんなことが何度も続いていたので、「言っても変わらない」。いつの間にか、自分の意見を押し殺し、無意識に従うことが身についてしまったのかもしれない。

「奥様の収入を合算しないと、希望額のローンが通りません」と言われ、言われるがままに源泉徴収票を提出した。

「提出しません」と言えなかったのではない。そう言うという選択肢そのものが、私の中から消えていた。

いつしか、それが当たり前になっていたのかもしれない。私の意見は反映されないものだと、無意識のうちに受け入れてしまっていたのかもしれない。

元夫には、二人で話し合って決めるというプロセスが決定的に欠けていたのだと思う。

人生の大きなこと、元夫が関心のあることは、元夫が自分だけの意見で決める。その一方で、「今日は何が食べたい?」と聞いても、「何でもいい」と、かなり面倒そうに即答される。家計管理など、日々の面倒なことも「任せてあるだろ!」と、話し合いの土台にすら乗らない。面倒なことはすべて丸投げされる。

大きなことも、小さなことも、結局は二人で話し合って決めるということがなかった。小さな不満は、少しずつ積み重なっていった。

家長として…。こういう時代錯誤な価値観を持っていたように思う。

「嫁に甘い顔を見せたら負け。言うことを聞かせないといけない」知人との会話でそう話していたことを覚えている。元夫は、自分の意見を通し、私を説き伏せて従わせることが、家長としての威厳を保つことだったのかもしれない。

そのときは、「何を馬鹿なことを言っているんだろう」と、聞き流していたが、今振り返ると、あの言葉どおりの夫婦生活だったように思う。

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