「どうしてもっと早く離婚しなかったの?」
そう思う人もいるかもしれない。
私は元夫との生活に違和感を感じ、おかしいと思いながらも、離婚に向けて動き出すまでには、かなりの時間がかかった。
時期を見て離婚することは決意していたものの、本当に離婚することが正解なのか。その気持ちは何度も揺れ動いた。
それでも、すぐに離婚へ向けて動くという決断はできなかった。
まだまだ子どもたちにお金がかかることもあり、私一人の収入では金銭的な不安もあった。さらに、一番大きな理由は、特に下の子である息子の存在だった。
当時、息子は小学校高学年から中学校を卒業するまで、不登校という問題を抱えていた。
離婚によって生活環境を変えてしまうことで、息子にどんな影響を与えるのか分からなかった。息子の落ち着いた環境を守ること、何も変えないことを最優先に考えたかった。
もともと「息子が20歳になったら離婚しよう」と考えていたので、離婚を急ぐことはせず、環境を変えて荒立てることはしたくなかった。

息子が20歳になるまで待つ
それが、当時の私の出した答えだった。
それまでの間、元夫とはできるだけ関わらないように生活することを選び、結果的に家庭内別居という流れになった。
家庭内別居は、自分と子どもの生活を守るために、当時の私が選べる最善の方法だった。離婚までを生き抜くための手段でもあった。
気持ちの上では、配偶者としての縁は完全に切っていた。
できるだけ同じ時間に在宅しないようにする。同じ時間に在宅しなければならないときは、自分の気配を消す。
そんなくだらないことに神経をすり減らしながら生活していた。本当は、もっと違うことに自分の命の時間を使いたかった。
離婚を決意し、昼逃げを決行するまでには、数え切れないほどの出来事があった。
私の言葉は、相手に届かない。家事について、育児について、家計管理について、正当な主張をしても受け取られない。まるで壁や空気に向かって話しているような関係性だった。
朝、私が早起きして家事をしていることを知りながら、元夫は寝ている。夜は子どもたちが寝静まったあとに帰ってくる。会話がない。関心がない。存在が希薄だった。そんな日々の小さな違和感が、何年も何年も積み重なっていた。
その中でも、私にとって特に大きな出来事が三つあった。
一つ目は、家族で暮らす土地を、私の意思を無視され、勝手に購入契約されたこと。そのおかげで、私は毎日の通勤時間が一時間以上も長くなってしまった。フルタイムで働きながら子育てをしている私の負担を考えることなく、自分の都合だけで決断した。

二つ目は、私が通帳を投げ返した日のこと。家計管理を丸投げされていたが、度重なる言動に耐えかねた私は、ある日、元夫名義の通帳を元夫に投げ返した。
「これからは自分で管理してください」
その時、元夫が何を言ったのかは、もうはっきりとは覚えていない。ただ、その瞬間の自分の心の状態だけは、今でも鮮明に覚えている。
もう限界だった。
そして三つ目は、子どものこと。
元夫は、息子の不登校の原因は母親の愛情不足であり、母親の責任だと言い続けていた。さらには、父親には一切責任がないのだと、そう断言する人だった。
家事や育児には一切関わらないのに、当然のようにそんな言葉を投げつけ、責任だけを私に押し付ける。
息子の人生に関わる重要な問題に対して、自分の役割を放棄しながら相手だけを責める。それは親としての責任放棄であり、モラハラそのものだった。
その出来事は、私にとって忘れることのできない出来事の一つでもある。
息子のことなので、詳細を書くのは控えようと思う。いつか書ける日が来るのか、それとも、このまま書かないまま終わるのか。それは今の私にも分からない。
この三つの出来事は、どれか一つだけだったとしても、私に離婚を決意させる重大な出来事だった。
もちろん、この三つだけが離婚の理由ではない。
日常の中には、言葉が届かない無力感と無視の積み重ねがあった。相手の期待に応えるために自分を抑圧し続けることの疲労。自分の意見が聞き入れられない虚しさ。認められない、尊重されない生活。そういった積み重ねに加えて、この三つの出来事があった。
私は、「もうこの人とは、この先の人生を一緒に歩むことはできない」と確信した。




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