マイホームなのに、「私の家」ではなかった|夫婦の違和感 Vol.5

夫婦の違和感

マイホームなのに住む場所は決められない

「もう少しいろいろな土地を見てから決めたい」
「私の通勤には負担が大きすぎる」
「通勤が毎日1時間以上も長くなるなんて考えられないし、大変すぎる」

そう伝えた私の意見は反映されることはなかった。反映されることがなかったのではなく、聞くべきことに値しなかった。そう表現する方が近いと思う。

「俺に合わせなくてどうするんだ?」

結局、元夫は私が勤務している間に土地を契約してきた。

「家のこと何にもしないのに、よくそんなこと言えるよね?」

そんな反論も無視された。

終の住処になるかもしれない場所なのに、自分の意見が反映されないどころか、私の生活への負担すら考慮されない。今まで幾度となくそんなことはあったけれど、この出来事は離婚に直接結びついた。

家づくりが始まると、キッチンの色や収納、壁紙など、内装はほとんど私が決めた。本当に決めたかったのは、そこではなかった。

どこで暮らすのか。

もちろん、予算や条件があることは分かっている。全部、自分の希望通りにしたいと思っていたわけではない。それでも、お互いの生活を考えながら話し合い、「この場所にしよう」と納得して決めたかった。

「そんなに急いで決めなくても、もう少しゆっくり探してもいいでは?」

そんな言葉も受け止められず、納得して決める機会は、私にはなかった。

元夫には、誰かと意見をすり合わせながら物事を決めるという考え方が、決定的になかったのだと思う。

私の生活は、決める理由にならなかった

「なんで、こんなに遠いんだろう」と、実際に住み始めてから、会社の行き帰りで何度も思った。

なぜ私が全部負担を強いられなければいけないのか?

元夫の通勤は近くなった。元夫の通勤事情に合わせるのは私の仕事なのか?元夫が大変になることを私が請け負う、それが夫婦というものなのか?

ここまで書いてきて思い出したことがある。元夫が今の職場に転職した時、「社員食堂までの距離が遠く、昼休みの時間がなくなるから弁当を作って欲しい」と言われたことがあった。

「私が大変になるだけだよね?」その言葉は受け止められず、結局、私が準備することになった。その頃の私は、子どもたちの朝食の準備、夕食の下拵え、洗濯、子どもたちの保育園の送り迎え、全部一人でやっていたので、それ以上はさらに睡眠時間を削らなくてはいけない。

数ヶ月、半年ぐらい頑張ってみた。体力的に厳しい。そう思って「弁当を作り続けるのは難しい」そう訴えたが、返ってきた言葉は、「俺の昼休みの時間がなくなる」だった。

元夫の理論では、自分が少しでも楽をするために、私へ負担を押しつけること。そのことに何の疑問もなかった。その言葉を聞いて、私は当然のように弁当作りをやめた。

私はフルタイムで働きながら、家事も育児も担っていた。それなのに、私の通勤時間は毎日一時間以上長くなった。私がどれだけ大変になるのか。毎日の生活がどう変わるのか。元夫には、そういうことは関係なかった。

配偶者は自分に合わせるもの。自分を立て、自分を犠牲にして尽くすもの。元夫にとって、それが当たり前だったのだと思う。

こだわりの注文住宅で、区画整理されたきれいな住宅地に建つ我が家だった。それでも私には、最後まで「私の家」という感覚がなかった。あの家は、私にとって仮住まいだった。

10年以上住んだけれど、その家がしっくり自分の家だと思えることは、最後まで訪れなかった。

「嫁に甘い顔を見せたら負け」

Vol.3でも書いたように、元夫は「嫁に甘い顔を見せたら負け。言うことを聞かせないといけない」と話していた。

時代錯誤な話をしていると思っていたが、土地選びに限らず、それまでの言動を振り返ると、その言葉と行動は一致していた。私の意見が正しいか、間違っているかではない。私の通勤がどれだけ大変になるのかでもない。

元夫が大切にしていたのは、自分が決定することだったのだと思う。

家長である自分が決める。配偶者は、それに従う。だから、私の意見は意思決定の材料にはならなかった。

あの家を思い出すたびに苦しくなるのは、通勤時間が長かったからでも、新築の家が嫌だったからでもない。土地のことだけではなかった。新婚旅行も、マンションも、車も、いつも同じだった。

夫婦で人生を決める相手ではなく、従う相手として扱われていたこと。

私が最後まで受け入れられなかったのは、その時代錯誤な「家長」という考え方だった。私が欲しかったのは、自分の意見が通ることではない。夫婦として、一緒に人生を決めたかっただけだった。

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