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財産分与も放棄します
「年金合意分割の権利も放棄します」
「財産分与も放棄します」
「自宅についても、もう何もいりません」
「だから、今すぐ離婚してください」
本来なら、私にも受け取る権利があった。
年金分割も、財産分与も、自宅についても、家事も子育てもほぼ一人で担い、正社員として働き続けてきた。本来なら放棄する必要なんてなかった。それでも、その時の私には、お金よりも大切なものがあった。
一刻も早く、この人と他人になること。もう二度と関わらない人生を手に入れること。そのためなら、お金なんていらない。
あれは、切羽詰まった私の魂の叫びだった。これ以上、こんなくだらない争いに巻き込まれていては、自分自身の人生にとって、なんらいい影響があるはずもない。
元夫は、その条件を「はい、分かりました」と静かに受け入れた。ただ、それだけだった。
最後まで双方の財産がすべて開示されたわけではない。本当にどちらが財産分与を受ける側だったのか、支払う側だったのか。その答えは、最後まで分からないまま終わった。
あれだけ時間をかけて争ったのに、真相だけは闇の中だった。
その後は離婚の手続きについての説明に移り、財産分与について話し合われることは、もう二度となかった。

裁判官も同席していたことを初めて知った
その場には裁判官も同席していたことを、調停委員から聞かされ、その時初めて知った。電話調停だったため、裁判所での様子をうかがい知ることはできない。
その裁判官から、今後の離婚手続きに関することなどの説明を受けた。
「今後は、お互いに財産について請求することはできません」
裁判官から、そのような説明を受けた記憶がある。離婚が決まった安堵感から、抜け殻のようになっていた私は、「そうなんだ」と、他人事のような気持ちで聞いていた。
なんだったんだろう?あれだけ騒ぎ通した調停が、こんなにもあっさり幕を閉じることになるとは。結局、財産分与はなし。年金分割もなし。財産分与を請求してきた元夫も何も利益を得られていない。
お互いに弁護士費用を払い、何度も調停へ足を運び、膨大な時間と労力を費やした。私は反論書面を書き続け、資料を集め、仕事を休み、有休を使って調停へ通った。
この調停に、一体どんな意味があったのだろう。
残ったものがあるとするならば、
元夫とは完全に別の人生を歩めるようになったことだけだった。もう二度と人生が交わることはない。
それだけが、この調停で得た唯一のものだったのかもしれない。
都合よく有休を取るんだね

元夫も、有休を取って毎回調停に出席していた。申立の張本人だし、自分のことなのだから出席すること自体は当然だったのかもしれない。
そう思うのは、私が知る限り、元夫が有休を取ることは滅多になかった。仕事だからと家族のためには有休を使わなかった人が、調停には欠かさず有休を取る。代理人という弁護士がついているにも関わらず、その人にお任せすることはなく、毎回、必ず出席していた。その姿は、私には何とも不思議な現象だった。今振り返っても、謎めいている。
子どもの急な発熱の時、たまには代わりに休んで欲しいとお願いすると「仕事だから」。子どもが熱を出し、保育園から呼び出しがあったとき、「たまには迎えに行ってほしい」とお願いすると、「仕事だから」。いつも返ってくる言葉は、「仕事だから」だった。
私も同じように、正社員として働いていた。「私はもう有休がない、たまには変わってほしい」そう何度お願いしても、返ってくる言葉はいつも同じだった。
「仕事だから」
あれ?今日は平日だよね。仕事じゃなかったの?調停の日だけは、有休が取れるんだ。
私にも仕事があり、有休には限りがあるということには全く関心がなく。子どものことは、母親がなんとかするという考えの人だった。そんなこと今更考えてもどうにもならないが、家族のために有休を使うという発想はなかったのだと思う。
ずっと前、元夫自身がインフルエンザにかかった時は、迷うことなく有休を取って休んでいた。朝、自分で会社に電話していた。
「あ、有休は取れるんだ」
その時、私は冷めた気持ちでそう思った。自分のことなら有休は取る。それなのに、子どものためには取らない。
だから、調停には有休を取って出席していたことを知った時も、「そういう時は取るんだ」と、かなり冷酷な気持ちで受け止めていた。こんなところにも、こんなところにも、自分中心に生きてきた元夫の価値観が、よく表れていると思った。
今振り返ると、この調停で失ったものは、お金だけではなかった。大切な時間。穏やかに過ごせたはずの日々。それらは、もう二度と戻ってこない。
数年経った今でも、「あの時間だけは返してほしい」。その思いだけは、今も変わらない。
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